『死』について考える
久しぶりのブログ更新となりましたが、皆様いかがお過ごしでしょうか?寅八です。
久しぶりのブログで、いきなり『死』って・・・重いって言うかネガティブなテーマだなって思った方もいるかもしれませんが、そんな事はありません。
『死』について考える事は、言い換えれば『生きる』事を考える事(どう生きるか)を考える事だと私は思います。なので、むしろポジティブなテーマとして考えていますので、これから読まれる方もその様な目線で最後まで読んで頂けたら幸いです。
尚、あらかじめお断りしておきますが、私は無宗教ですので以下のブログに書かせて頂く内容については、自分の人生経験上からの個人見解です。
宗教的な教えを説く類のものではございませんので、どうぞご理解くださいませ。
1:私が『死』について考えるようになったきっかけ
命には限りがあって、皆いつかは死ぬ時が来るという事は判っていますが、普段は『死』について考える事は殆ど無いのではないでしょうか?
それは、自分にとって今日明日の事ではないと思っているという事もあるとは思いますが、正直あまり考えたくも無い事だと感じているからだと思います。
まさに以前は私もそうでした。ただ私の場合は、病気(急性大動脈解離)の発症がきっかけで、『死』というものが本当に身近なものに感じられるようになりました。
命にかかわる病気を経験したことのある方なら判るかもしれませんが、「一つ間違えば死んでいたんだなぁ・・・」と思った時、それまでの価値観が一変したり、今まで当たり前と思っていた事への感謝の念が湧いてきたりと本当に大きな変化があった訳ですが、『死』について考える事もその一つだと思います。
特に入院中は、ベッドで横になっている時間が長く、色々と考える時間もたっぷりあるので、私も入院中に思い感じた事が沢山ありますが、それはまた別の機会に話すとして・・・『死』というものを意識する事で、死ぬ事が恐くなくなったとまでは言わないですが、不思議と死に対する恐さも和らいだ気がします。
2:死んだらどうなる?死後の世界ってある?
人生一度きり。私も死んだ事はないので断言は出来ませんが、多分死んだら『終わり』(無)だと思います。(自分の身体と心は)
例えるならコンセントやバッテリーを外した電化製品の様にプツンと切れて動かなくなる状態。まぁ、電化製品であれば再度コンセントやバッテリーを復旧すれば再度動きだしますが、命はそうはいきません。
個人的には死後の世界っていうものがあって、死んだ人にまた会えたりって事があって欲しいとは思っていますが、それも多分昔から生きている人の都合や願望から生まれたもので実際には無いでしょう。
良く死後の世界を見たと言う人もいるが、それは昏睡状態の中で脳が見せた夢の様な物ではないでしょうか。
「そんなの当たり前」とか「夢を壊すな」とか言われちゃいそうですけど、そういったリアルな死を受け入れた上で残された人生をどう生きるか?って事が大切な気がしています。
3:どう生きる?なぜ生きる?
この問いにハッキリ答えられる人はそうはいないだろうと思います。
当然、私もそんな事に答えられるほど哲学人ではありません。
ただ、ありがちな「それを探すのが人生だ」などと言うつもりもありません。
『どう生きるか』、『どう生きたいか』。は三者三様で良いと思うし、『なぜ生きるか』については、その問自体に何の意味も無い事と私は思う。
冒頭に『死』について考える事は、『どう生きる』かを考える事と書きましたが、逆に
命に限りが無かったとしたら、苦しい思いまでして何かにチャレンジしたり、家族の為に仕事を頑張って良い生活を求めたり、等々の何かをする為の活力が生まれて来ないだろうと思います。
また、『なぜ生きる?』の問い自体意味がないと書いたのは、人生において全てハッキリした答えがある事ばかりではないという事。(例えば、『なぜ家族を大切にするのか?』や『なぜ友人と付き合うのか?』漠然とした答えは出せるかもしれませんが、ハッキリとした答えなど無い事が多い)
一つハッキリしている事は、人生を一言で言えば『人との関わり』だという事。
人間の感情である喜怒哀楽も人との関わりがあって生まれる物。一人の様に思える場合でも間接的には必ず誰かと関わりがあるものです。
だから、どのような人生を歩むか?という事はどう人(友人・家族・他人etc)と関わっていくかと言って良いのではないでしょうか?
また、『人は二度死ぬ』という言葉があります。
一度目の死は肉体の死で、二度目の死はその人の事を忘れられた(知る人がいなくなった)時という意味ですが、亡くなっても人の心には忘れられない限りその人の存在が残るという事です。
私の父は既に他界していますが、今でも子供の頃に父から口うるさく言われた事(口癖)が耳に残っていますが、少なからず「確かにそうだな・・・」と納得させられてる事もあり、それを自分の子供にも同じ様に言う事があります。
それは、自分の残した言葉が伝わり次の世代に残るという事で、場合によっては永遠に残っていく可能性だってある訳です。
それを考えたら、自分はどう生きて、どう人と接していくかという事も考えられずにはいられないですよね。
4:自殺、自ら命を絶つ人
限りある命ではありますが、残念な事にその期限が来る前に自ら命を絶つ人がいます。
その理由も人それぞれだとは思いますし、何かに思い悩んで苦しんだのち鬱など心の病からという方々は、自分ではどうにも出来ないという不幸な事と言ってもよいかもしれませんが、私はあえて言います。人の命を奪う事、それは他人の命であっても自分の命であっても一緒です。
自殺は罪です。
それは、自分の命は自分だけの物じゃないから。自分と関わった全ての人の物です。
実は私も50年近く生きてきて、二回身近な大切な人を自殺で失っています。
今でも、自分として何かしてあげられなかったのか?悩んでいた事に気付けなかったのか?と悔やんでいます。
多分、一生背負っていかなければならない十字架の様に思います。
人生、順風満帆の日ばかりではありません。ネガティブに物事を考えてつまらなくするのも、何事もプラスにポジティブに考えて楽しくするのも、自分次第です。
自分の命を大切に。自分と関わる人達に日々感謝して、自分の人生を全うしてください。
【寅八のつぶやき】
人生、つまづいて気付く事がある。
そして、自分は周りの人に生かされていたと判る。
自分も誰かの生きる支えや力になりたいと思う。
嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え [ 岸見一郎 ]
- 価格: 1650 円
- 楽天で詳細を見る